「南京大虐殺」のウソ

近現代史研究家
 鹿島 明(かしま・あきら)


戦闘はあったが、大虐殺は存在しない。


目     次

緒  言

  南京攻略戦において日本軍を率いていた総司令官・松井石根(まつい・いわね)大将は、戦後、極東国際軍事裁判(以下、「東京裁判」という)によって、1948年(昭23)2月23日、絞首刑に処せられた。
  その東京裁判の判決文のうち、松井大将に関する部分は、次のように書かれている。

  南京が落ちる前に、中国軍は撤退し、占領されたのは無抵抗の都市であった。 それに続いて起ったのは、無力の市民に対して、日本の陸軍が犯した最も恐ろしい残虐行為の長期にわたる連続であった。 日本軍人によって、大量の虐殺、個人に対する殺害、強姦、掠奪及び放火が行われた。 残虐行為が広く行われたことは、日本人証人によって否定されたが、いろいろな国籍の、また疑いのない、信憑性のある中立的証人の反対の証言は、圧倒的に有力である。 この犯罪の修羅の騒ぎは、1937年12月13日に、この都市が占領されたときに始まり、1938年の2月の初めまでやまなかった。 この6,7週間の期間において、何千という婦人が強姦され、10万以上の人々が殺害され、無数の財産が盗まれたり、焼かれたりした。
  これらの恐ろしい出来事が最高潮にあったときに、すなわち12月17日に、松井は同市に入場し、5日ないし7日の間滞在した。(中略)これらの出来事に対して責任を有する軍隊を、かれは指揮していた。かれは自分の軍隊を統制し、南京の不幸な市民を保護する義務をもっていたとともに、その権限をもっていた。この義務の履行を怠ったことについて、かれは犯罪的責任があると認めなければならない。
  本裁判所は、被告松井を訴因第55について有罪、訴因第1、第27、第29、第31、第32、第35及び第54について無罪と判定する。

  松井大将の絞首刑は正当なのだろうか。 遡及法を用いて我が国の指導者を裁いた東京裁判の不当性の問題とは別に、判決文が記すところの、 また、今も中国が我が国を批判攻撃する際に必ずと言ってよいほど頻繁に持ち出す、いわゆる「南京大虐殺」は、本当にあったのだろうか。

  南京戦に参加した将兵はもとより、日本人は誰もが「南京大虐殺」の存在を戦後になって知った。

  東京裁判の判決文は、1937年12月13日の南京陥落から1938年2月初めにかけての6〜7週間に、「何千という婦人が強姦され、10万以上の人々が殺害され、無数の財産が盗まれたり、焼かれたりした」としている。

  南京城内の面積は、城外の下関を加えても約40平方キロで、東京の世田谷区(58.8平方キロ)より狭く、その約十分の一が安全区(3.8平方キロ)だった。 その城内では、外国の報道陣が自由に取材し、朝日新聞は約80名、毎日新聞は約70名の取材班を投入していた。 これだけの大規模な取材陣が投入されていたのは、南京が当時、中華民国の首都であったためである。 「南京大虐殺」が存在したのであれば、何らかの報道があってしかるべきところ、当時の報道は、そのような内容は一切伝えていない。


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