石井731部隊



ブログ:「石井731部隊は虐殺してない」の本文(魚拓)

 小説家・森村誠一の『悪魔の飽食』(あくまのほうしょく)から騒がれ始めた「石井731部隊」。その内容は、旧満州国で石井四郎陸軍軍医(医学博士)を中心とする731部隊が行っていたとする人体実験の様子を詳しく描いており、巷で話題を呼び、その話を題材にした劇が制作され、それをもとに中国でも映画化された。

 この本に掲載された写真の大半は、石井部隊とは無関係な写真を無理やり関連付けたものであることが各方面からの指摘で発覚。写真の説明にも、医学的な根拠と整合性に欠けた記述で占められ、その後、森村氏は修正版(“続刊”)を出版。

 しかし、“石井731部隊の元隊員”であったとする人物から提供されたとする写真を、新発見とうたって“続刊”に掲載したところ、そのほとんどが偽造写真であることが判明。この問題により光文社版は続刊を含むすべての版の回収を余儀なくされ、これも絶版となった。その後、問題写真を削除した上で、角川書店より新たに出版した。

 その新版の内容についても、「ノン・フィクション」と呼ぶには真実性に著しく欠け、森村氏得意の「フィクション」の域を出ていない。なぜならば、

第1に、内容に登場する人物はすべて匿名であり、

第2に、森村氏が引用する登場人物の“証言”が版を追うごとに異なっている。

第3に、事の真相に関し、「石井731部隊に関する資料を米国が回収し、公開していないため検証不能」とする弁明には状況的な無理がある。(旧満州国の検閲を実施した当事者は米国ではなく、旧ソ連であり中国であった)。

第4に、戦後に関係者から証言を引き出したとするハバロフスク裁判自体が、法学者によってその存在を否定されている。

第5に、この本は、日本共産党の機関紙・赤旗(日曜版)における連載から生まれ、日本共産党の協力のもとに出版された経緯を鑑みれば、“事実”よりプロパガンダの性格が強い。

第6に、筆者の遠縁と知人2名が(医学博士と法学者)が旧満州に渡航し、実際に石井731部隊を訪れている。くまなく現地を視察しているにもかかわらず、しかし、森村誠一氏が記述した如くの人体実験設備、そのためのマルタ(捕虜)収容所、毒ガス、細菌兵器に関する研究施設は存在していなかった。

 この続きとして、下記は、筆者が記憶鮮明な少年期に、生きて日本に帰還した遠縁者とその知人から幾度と無く聞いた話の概要である。  石井四郎氏と実際の現場担当者からも、そうした残忍な類の話は聞いていない。同部隊の存在と施設の役割と使命は、駐留軍隊と移住民のための防疫給水と伝染病の予防にあった。旧満州の水に関する衛生状態はきわめて深刻であり、井戸を掘って汲み置きした水であっても、度々襲来する窓わくに堆積するほどの黄砂が水を濁らせた。  水は、かろうじて、やかんで沸騰させて飲用に用いたが、時間が経てば、やかんの底にはさまざまな不純物が沈殿するほど汚い水であった場合が多かった。このように、泥や砂が混合している現地の水では、そのまま生活上水道としての使用することは困難であった。  今日のように精密なフィルターが無い時代であればこそ、水に混合している不純物(藻類や微生物、細菌)を除去する方法の研究は死活問題であった。ただし、石井部隊の建物には、予防データの作成と予防法の解明を前提とし、伝染病、疫病に感染した者を入院させ、軍医の指導のもとに、実習生が治療にあたる小規模の病院設備は施設内にあった。  しかし、森村誠一氏が書いたような、残虐な人体実験の設備や、毒ガスや細菌兵器を研究した、かの如くの話はまったくの嘘、偽りであるといえる。実際に現場を見てきた我々が否定され、見もしない者がとうとうと“真実”であるかのように書き立てる。これほど残念なことはない。

 −−−−−−−−−−−−  石井731部隊の防疫活動研究班は、「石井式濾水機」(水のろ過器)を開発し、実際運用の面で成果を残している。組織は次の通り: (すいません、組織詳細は引用しませんでした。博士の記事を見てください。)  −−−−−−−−−−−−

プロパガンダの中で造られた“石井731部隊”

以上の組織(構成員約3000名)が石井731部隊として、旧満州国の平房(ピョンファン)に存在していた。不可侵条約を破棄した旧ソ連軍の満州侵攻が始まった1945年8月、部隊は“秘密隠匿”のため、施設を“完全破壊”するとともに、“実験試料のマルタ”をすべて殺害して退散したとされている。

 しかし、“完全破壊”されたはずの建物の大半は残り、修理が加えられたものの石井部隊の本部棟は原型はそのままに、最近まで小学校として使用されていた。もし、支那が森村誠一氏の記述を支持して主張するような惨劇があった場所であるならば、アウシュビッツ収容所跡のような記念館等に充当するのであればまだしも、いかなる神経をもつ民族とはいえ、児童の学び舎に充当できる、とは考え難い。

概略だが、石井部隊がなしたとする“最後の惨劇”について、支那人に尋ねれば次のように答えた。筆者が米国在中に、複数の人物が真剣に語っていた話をここで 紹介したい。以下:

 すべての施設は爆破され、収容していたマルタの大量虐殺が始まった。監獄へ青酸ガスを流し込み、それでも殺せない者は日本兵が銃剣で止めを刺しながら歩いた。残ったマルタを一ヶ所に集めて爆発物を投じて一挙に爆死させたりした。それでも残っているマルタには二人一組にして互いに殺し合わせることで処分した。

 証拠が発見されたり、マルタが生き証人として残れば罪は免れない。撤退作業の中、マルタの殺戮は激越を極めた。また、死体の隠滅を図るために、大きな穴を掘ってそこに死体を一挙に投げ入れてガソリンをかけて燃やした。死体は生焼けで異様な匂いを放った。土をかぶせて部隊は撤退作業を行った。

 焼却された死体の骨は松花江(スンガリー)という川に運ばれて投棄された。証拠は跡形もなく隠滅せねばならなかったのだ。

 以上がプロパガンダのあらましだが、必ずしも異口同音ではないかもしれない。だが、筆者が問いかけたい疑問は次の通りである:

第1に、一切の証拠隠滅が行われたとする以上のような惨劇を支那人の誰が目撃したのか? 旧日本兵で実名でこうした証言する者は皆無である。

第2に、語られる様子が、毛沢東が文化大革命で自国民を大量殺害した手法と同じである。森村氏の“ノンフィクション”発表以降に、支那が騒ぎ出した経緯をみれば、むしろ自国の出来事を語っているかのように聞こえる。(“南京大虐殺”の手法も毛沢東と同じであるゆえ)

第3に、旧満州国末期に、隊員の数倍もの数の遺体にかけて燃やすほどのガソリンが存在していたのか?

第4に、土で埋めたはずのマルタの死体が出て来なかったのはなぜか? また、それだけの惨劇があったとすれば、跡地を小学校に使用する神経とはいかなるものか?

第5に、片や、松花江という川に投棄したとする大量骨が発見されなかったのはなぜか? 片や、埋めたといい、片や、川に流したという。旧ソ連軍が南下しつつある状況で、それほど大量の遺骨を現場から数キロも離れた川に運ぶ余裕が石井部隊にあったのか?

 以上の第5まで、筆者の質問に支那人の学識者は明解に答えられなかった。

第6に、上記も含めて、「証拠がない」ことを“証拠隠滅”に置き換え、米軍との司法取引があったかの如く喧伝している。が、しかし、米国にも資料は存在していない。

   もって、石井731部隊の残虐は真実とはいえない。


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