慰安婦問題 もうひとつの真実



2017年3月10日
筆・萩野谷敏明

■虚を衝かれたバイエルン州ウィーゼントの慰安婦像建立

公園内の除幕式 建立を伝えるチャンネル桜ニュース(クリックして再生)

3月8日午後(現地時間)、ドイツ・バイエルン州ウィーゼントのネパールヒマラヤ・パビリオン公園内に慰安婦像が立った。像は昨年9月、フライブルグ市での建立が不発に終わったのち、倉庫に保管されていたものだという。ヨーロッパ初の慰安婦像の建立である。

フライブルグ市での計画中に、姉妹都市松山市の市長からの手紙その他、日本側の反対にあって不発に終わった経験を活かしたのだろう、設置計画はよほど秘密裏に行われたものとみえ、ドイツ在住の日本人や慰安婦問題に従来から関わっていた日本側活動家は誰も計画を知らず、何も事前対応ができなかった。

我々は、この出来事から危険の予兆を捉え、将来の問題に備えなければならないと思う。なぜなら、「韓国内なら好きなだけ像を造れ」と手放しで笑っていられないからだ。 韓国内には既に60体ほどが建立されていると伝えられるが、それらの像はスキあらば欧米各地に移動し設置されるに違いないからである。

最初は、慰安婦像は韓人協会・商工会議所などの目立たない私的な施設に安置されるかもしれない。 しかし、機会さえあれば大通りに面した場所に移動し、可能ならば公園・図書館・公民館などの公共施設に移動していくのである。 勿論、その際は「日本軍によって20万人の朝鮮人女性が強制連行されて性奴隷にされた」というデマを刻んだ金属プレート付きになる。 そして、現地の韓国人が同様のデマを流し続け、何十年かの時を経るうちに、このデマが既成事実となってしまいかねない。

■「復讐の女神」としての慰安婦像

慰安婦像の制作費は、ジャーナリストのマイケル・ヨン氏が制作者に直接問い合わせたところ、一体当たり350万円という回答があったという。輸送コストや設置のための工事費を合わせれば相当な額になろう。公共の場所に立てるには地元の議会を通過させなくてはならず、そのために協力者となる政治家を見出す必要もあり、それに伴う政治献金や選挙協力も多大な人的労力と金銭的コストを必要とするであろう。

何よりも、活動の中心となるリーダーの強い意志が必要になる。もはや、かつての「挺対協」の枠を超えた、大きな運動のネットワークが形成されつつあるのではないだろうか。

そもそも、なぜ韓国人は、これほど慰安婦像の建立に狂奔するのだろうか。そのヒントを、私はシャルル・ダレの「朝鮮事情」のなかに見つけた。長文だが、重要なので引用する。

「敵の陰謀によって官職や命を失った貴族はその復讐を子孫に委ねる。しばしば復讐のための有形の形見が授けられる。たとえば、子に衣服を与え、自分の仇をうつまでは決して脱いではならないという遺言が残される。子はその衣服を絶えず身につけており、万が一、志を全うできずに死ぬ場合は、やはり前と同じ条件でまたその子に伝える。祖先の血に報い、その魂を鎮めようとして、子孫たちは二代、三代にわたり、このぼろぼろの衣服を身につけている。そういう貴族をしばしば目にすることがある。 朝鮮では、父親の仇を討たなかったならば、父子関係が否認され、その子は私生児と成り、姓を名乗る権利さえもなくなってしまう。子のこのような不孝は、祖先崇拝だけで成り立ってこの国の宗教の根本を侵すことになる。たとえ父が合法的に殺されたとしても、父の仇あるいはその子を、父と同じ境遇に陥れなければならず、また父が流罪になればその敵を流罪にしてやらねばならない。父が暗殺された場合も、同じ行為が求められる。この場合、犯人はたいてい無罪とされる。なぜなら、この国の宗教的国民感情が彼に与するからである」(p. 42)

この文章中の「復讐のための有形の形見」が慰安婦像なのだろう。だとすれば、慰安婦像は金属製なので、撤去しない限り、数百年は滅失せずに維持される。

朴槿恵大統領が就任演説で、日韓関係を念頭に「加害者と被害者の関係は千年経っても変らない」と述べたが、言い換えれば「どれだけ時が経っても、いつか必ず復讐を果たす」という意味である。

韓国人は過去数年間、アメリカの力を借りて日本を小突き回すことに無上の快感を覚え、国会で安倍首相に河野・村山談話を引き継ぐと言わせ、2015年末の日韓合意に際しても、その直前まで「元慰安婦と韓国国民が納得する解決案を日本側が持ってこない限り、私は安倍首相に会わない」とゴネまくった。そして、日本側にまたしても謝罪の言葉を言わせて10億円をせしめるなどのゴネ得・嫌がらせの類いを働いてきた。

一見、その行動はチンピラヤクザの「ゆすりたかり」のように見える。しかし、韓国人の本当の狙いは「歴史の復讐」であって、機会が到来すれば日本民族の支配者として君臨し、日本人を奴隷として酷使し、日本の婦人をことごとく彼らの慰安婦とすることであろう。荒唐無稽に聞こえるかもしれないが、そう考えなくては、グレンデールの碑のように、目抜き通りからも離れた公園の奥に設置されている意味が分からなくなる。つまり、慰安婦像は、それ自体で宣伝効果を生むのではなく、その周囲に居住する韓国人に絶えず先祖が受けた仕打ちを思い出させ、万一にも機会が到来すれば復讐を果たすよう求めるための「復讐の女神像」なのだ。

 もちろん、彼らの復讐心は逆恨みから発するものであって、歴史の事実に立脚すれば、日韓併合にしても慰安婦にしても、「復讐」の対象になるような事柄ではない。 しかし、そのような道理が通じる相手ではないことは、これまで専門家が散々指摘してきたことであり、一般人の我々にしても、充分すぎるほど経験してきたことである。韓国人が思い描く、或いは、彼らが思いたい妄想の過去からする「復讐」であるから、日本人にとって、よほど過酷な未来が実現しない限り、韓国人は満足しないに違いない。実際、先の大戦における日本の敗戦時、日本人の半島引揚げに際して彼らが見せた恩知らずの殺人・強盗・強姦等の畜生行為は、幾つかの記録に明らかである。

関連記事・「封印された半島引揚女性の慟哭 二日市保養所70年目の記録」(下川正晴 正論2016年8月号)

■モンスター化する「恨」

2016年2月、韓国で「鬼郷」という慰安婦を題材にした映画が封切りになり、公開から一週間で百万人の観客を動員する大ヒットになった。観客の動員数に疑問を呈する向きもあるが、DVDの販売・レンタルも考慮すれば、相当数の韓国人が、この映画を鑑賞したと思われる。

月刊WiLLの2016年10月号の前川惠司・呉善花両氏による「十億円−慰安婦に“追い銭”またムシりとられた日本外交」という記事に、この映画の紹介が載っている。以下、関係する箇所を同記事から引用する。

元記事・「十億円−慰安婦に“追い銭”またムシりとられた日本外交」前川惠司・呉善花(月刊WiLL 2016年10月号)

私はダイジェスト版のようなものをインターネットで見ました。今かの家に、日本の軍人が数人、銃を持ってやってくる。両親は畑に行き、家には十三〜十四歳の娘が一人でいる。その娘を無理やりトラックに載せていきます。娘は戦地に行き、一日に大勢の人間と関係を持ちますが、そのまわりには病気になった若い女性たちがたくさんいる。日本の軍部は、そのような女性たちを全員集め、大きな穴を掘り、投げ入れてもやしてしまう。そういう内容のようです。
前川 
「韓国では公開と同時に一週間で百万人以上が見たそうです。日本でも七月に上映会があったと聞いています。
「大ヒットしたため、映画館の数が足りません。そこでソウル市長は、いろいろな会場で無料で上映することに決めました。学校をあげてその映画を見に行くし、田舎の高齢者も、団体で見に行っています。ネット上での反応を見ると、ほとんどの人たちが「涙なしに見られない。こんなに苦しめられていたとは知らなかった。すべての韓国人が観るべきだ」と書き込んでいます。
前川
証言をした人は、姜日出(カン・イルチュル)さんという人です。でも、チフスにかかったので殺されそうになったとか、日本軍が退却するときに殺されそうになったとか、証言が本によってこれほど揺らいでいるのに、どうして韓国の人たちは事実だと思うのでしょう。
韓国では事実よりも、社会のムードでそうなっていることが大きい。情緒がまされば、いくら事実はこうだと言っても、批判が入る余地はまずありません。韓国は冷静に判断するよりも、情緒で判断する社会なのです。

前川氏が文中で触れている元慰安婦・姜日出の「証言集会」には筆者も出席したことがあり、その 証言記録「未来への記憶U」も読んでいるが、 有体に言って、この人は認知症老人、もしくは、その一歩手前の状態にある。 明らかに、その記憶の中には抗日戦争映画のシーンが混ざりこんでいる。 そのような人の妄想に基づく「証言」が映画を通すとドキュメントとなり、百万人以上が「こんなことがあったなんて」と涙する、といった情報ロンダリングの成果にされてしまうのであるから、 韓国人の妄想キチガイぶりには恐れ入ったものだ。

筆者の少年時代、「ウルトラセブン」という番組が終了になり、ウルトラセブンが「ウルトラの星」に帰って行ったと云って泣いている純真な友だちがいた。 我々は小説や映画でフィクションを楽しむ。登場人物に感情移入をして、思わずホロリとくることさえある。 しかし、現実と妄想の区別はついているのが普通だ。 子どもがやれば微笑ましいことでも、大人がやれば「狂人」のカテゴリーに入る場合がある。 韓国は既に一国が丸ごと狂人国になっているとみて差し支えないのではないか。

問題は、こうして増幅してモンスター化した「恨」を抱える韓国人が、将来、日本人にどのような災厄をもたらすか、という点であり、そのための対策と心構えを今から持っておかねばならない、ということだ。

■韓国は弱小貧乏国のままにしておく

対策の第一は、遠い将来、我らの子孫に仇なすことを誓っている人々を、現在の我々が富ませてはならないことだ。 韓国は永久に弱小貧乏国にしておかねばならない。 さもなければ、万に一つ、日本の国力が落ち、韓国の国力が日本を上回った場合、彼らは必ず「歴史の復讐」のために牙を剥いてくるであろう。  そのことが分かっていて、なお金を投じ技術を投じ、韓国を富ませることに、何の合理性があるのだろうか。

対策の第二は、慰安婦像の建立に狂乱している韓国人は、治療不可能な「がん細胞」みたいなものであるから、周りからオブラートに包み、包みの外に出られないようにすることである。 言い換えれば、慰安婦に関する歴史の事実を世界規模で広報・普及させることに努めることだ。  皆が事実を知ってしまえば、いくら韓国人が絶叫しても、相手にされない。 逆に言えば、そこまでやらないと、終わりが見えてこないということだ。

対策の第三は、我らの歴史戦を、子々孫々に至るまで、若い人らが引き継げるようにしておくことだ。 端的に云えば、広い意味の教育のことだ。この面ではインターネットが有効な道具となるだろう。

韓国のように恨み憎しみに凝り固まった狂人らによって構成されている国は、もはや国家の仮面を被った「反日カルト教団」と呼ぶべきであり、慰安婦問題の解決策は、日本側か韓国側か、いずれか一方が他方を圧倒する以外に見出せない。

以上が、バイエルン州ウィーゼントの慰安婦像建立についてのニュースに接した筆者の感想である。諸兄諸氏の忌憚のない意見表明を期待する次第である。

終り
 


 


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