南京写真集





 

昭和12(1937)年


 

【撮影日】12月14日
【撮影場所】
【撮影者】角野特派員
【説  明】
  南京:絶望的な南京政府の死闘におびやかされ、 おびえつつも最後まで踏み止まっていた南京市民が、 防空壕から這い出して来て我が軍の布告にほっとして安堵の胸を撫でる。
【出  典】
  アサヒグラフ(昭和13年1月5日号)
  水間政憲著「ひと目でわかる日中戦争時代の武士道精神」 p.76
【備  考】
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【撮影日】12月15日
【撮影場所】中山北路東側の安全区付近
【撮影者】佐藤振壽 (東京日日新聞特派員)
【説  明】
  佐藤氏の手記より「十二月十五日 南京安全区付近で 中山北路の東側の安全区付近では、水餃子の露店が出ていた。 日本兵のお客の第一号だろうか。 南京へ入城した日本兵は南京市民を虐殺していたとデマがとんだが、日本兵と市民は友好関係にあった」
【出  典】
  水間政憲著「完結南京事件」 p.95
  畝本正己著「真相・南京事件 ラーべ日記を検証して」巻頭写真
【備  考】
【撮影日】12月15日
【撮影場所】中山北路路沿いの安全区道路
【撮影者】佐藤振壽 (東京日日新聞特派員)
【説  明】
  佐藤氏の手記より「十二月十五日 南京中山北路沿いの安全区道路に面した場所で、 難民区の中国人が、どこからか古着類を持ち出して商売にしていた。背後は広陵地だったので、 防空壕に利用されていたらしく、壕の入口が写真で見られる」
【出  典】
  「南京戦史・資料集II」挿入写真
  水間政憲著「完結南京事件」 p.93
【備  考】
【撮影日】12月15日
【撮影場所】安全区
【撮影者】佐藤振壽 (東京日日新聞特派員)
【説  明】
  佐藤氏の手記より 「十五日の南京は自宅で食事を作れない難民が多かったせいか水餃子を食べる難民が多かった」
【出  典】
  水間政憲著「ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実」 p.65
【備  考】
【撮影日】12月15日
【撮影場所】安全区
【撮影者】佐藤振壽 (東京日日新聞特派員)
【説  明】
  佐藤氏の手記より 「十二月十五日 南京難民区 どこかで営業用に使っていた湯沸し機を人の多い難民区に持ち込んで、営業をはじめていた」
【出  典】
  水間政憲著「ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実」 p.65
【備  考】
【撮影日】12月15日
【撮影場所】安全区
【撮影者】佐藤振壽 (東京日日新聞特派員)
【説  明】
  佐藤氏の手記より 「十二月十五日 南京難民区で撮影した時、難民たちは日本人を恐れることもなく、カメラの前に立った。 白布に赤い丸を丸く切って、日の丸の印として、日本兵に反抗する意思のないことをあらわしていた。」
【出  典】
  水間政憲著「ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実」 p.64
【備  考】
【撮影日】12月15日
【撮影場所】中山路と中山北路の交差点付近
【撮影者】佐藤振壽 (東京日日新聞特派員)
【説  明】
  佐藤氏の手記より「十二月十五日 南京中心部。中山路と中山北路の西側の一区画で城内に残留した南京市民。安全区の中に難民区もあって、ここを訪れた時に両者の識別はむづかしかった。ともかくもバラックの様な家に居留していた。背景の高級住宅と対比すると、難民といえるだろう」
【出  典】
  水間政憲著「ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実」 p.58
【備  考】

【撮影日】12月17日
【撮影場所】
【撮影者】河村特派員
【説  明】砲声止んだ南京城内に描かれた親善風景
【出  典】東京朝日新聞12月22日付
【備  考】
  水間政憲著「完結南京事件」 p.112によれば、12月17日の撮影である。
【撮影日】12月17日
【撮影場所】
【撮影者】河村特派員
【説  明】
  平和息吹き蘇った南京城内の街頭風景。道路を家の延長と心得ている彼らは、皇軍の庇護の下に、彼らの生活をとりもどしたのである
【出  典】
  アサヒグラフ(昭和13年1月12日号)
  水間政憲著「ひと目でわかる日の丸で歓迎されていた日本軍」 p.50
【備  考】

【撮影日】12月20日
【撮影場所】中山路の一隅
【撮影者】林特派員
【説  明】
  南京中山路の一隅で兵隊さんをとりまいた支那の子供達が手を打ち声をあげて驚喜している。 台の上では玩具の自動車や戦車がコロコロ走っている。童心にかえった兵隊さんも一緒になって笑い興じている。 弟や愛児を遊ばせる気持ちだ!これが南京陥落僅か1週間の12月20日の街頭情景である。
【出  典】
  アサヒグラフ(昭和13年1月19日号)
  東京朝日新聞12月25日付
  水間政憲著「ひと目でわかる日中戦争時代の武士道精神」 p.91
【備  考】
【撮影日】12月20日
【撮影場所】
【撮影者】林特派員
【説  明】
  南京:惨虐無道な支那兵に脅かされ、空と地に唸る砲弾に怯えていた避難民地区の支那良民は、日本軍入城と共にホッと蘇生の思い、 その上に、食事は元より、子供にはお菓子を恵まれて大喜びの嬉しい涙で唯々「謝々」を繰り返している。
【出  典】
  支那事変画報・第11集(昭和13年1月27日発行)
  東京朝日新聞12月30日付
  水間政憲著「ひと目でわかる日中戦争時代の武士道精神」 p.88
【備  考】
【撮影日】12月20日
【撮影場所】
【撮影者】林特派員
【説  明】
  南京:南京陥落後早くも一週間、皇軍の博愛同仁の暖かい手は、避難民地区で疾病に悩む支那民衆の上に差し伸べられ、 衛生班の親切な施療に依って、数か月来の戦火と病魔の苦患から救われた彼等は、涙を流し手を合わせて皇軍に感謝した。
【出  典】
  アサヒグラフ(昭和13年1月19日号)
  水間政憲著「ひと目でわかる日中戦争時代の武士道精神」 p.90
【備  考】

【撮影日】年末年始
【撮影場所】金陵大学付近
【撮影者】東宝映画文化映画部
【説  明】
  12月24日から始まった良民証(「安居の証」とも)の交付を受けようと列を作る南京市民。交付は金陵大学の施設を使って行われたので、撮影は金陵大学付近と思われる。
【出  典】
  戦線後方記録映画「南京」 34:40付近
【備  考】
  京都十六師団による交付は1月5日まで行われ、1月6日からは南京特務機関に発行業務が引き継がれた。

【撮影日】12月27日
【撮影場所】
【撮影者】影山特派員
【説  明】
  南京:略奪と砲火におびえた南京避難区域も皇軍入城と共にパッと春を取り戻してニコニコイソイソと道一杯の人通り
【出  典】
  「アサヒグラフ」(昭和13年1月19日号)
  水間政憲著「ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神」p.94
  水間政憲著「完結南京事件」 p.122
【備  考】

 

昭和13(1938)年


 

【撮影日】昭和13年1月1日
【撮影場所】
【撮影者】東宝映画文化映画部
【説  明】
  爆竹で遊ぶ子供らの脇を素通りしていく日本兵。子供らは日本兵に何ら警戒をしていない。
【出  典】
  戦線後方記録映画「南京」 47:15付近
【備  考】
【撮影日】昭和13年1月1日
【撮影場所】下関
【撮影者】第十六師団司令部経理部 金丸吉生軍曹
【説  明】
  昭和十三年下関迎春風景 下関で付近の住民が高脚踊りで祝賀に来てくれた。
【出  典】
  畝本正己著「真相・南京事件 ラーべ日記を検証して」巻頭写真
【備  考】

【撮影日】昭和13年1月上旬(推定)
【撮影場所】
【撮影者】
【説  明】
  安全区の通りは、あいかわらず人の海だ
【出  典】
  「南京の真実」(ジョン・ラーベ/著、エルヴィン・ヴィッケルト/編、平野卿子/訳、講談社/刊)巻頭写真
【備  考】

【撮影日】2月中旬(推定)
【撮影場所】
【撮影者】大木特派員
【説  明】
  南京:露店は移動する あちらの街、こちらの辻へと彼らの露店は始終移動しているが、 それも一家総動員の転々だから微笑ましい風景だ(南京にて 大木特派員撮影)。
【出  典】
  アサヒグラフ(昭和13年3月23日号)
  水間政憲著「ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神」p.131
【備  考】
【撮影日】2月20日
【撮影場所】夫子廟
【撮影者】岡(美)特派員
【説  明】
【出  典】
  冨澤繁信著「南京事件の核心」p.124
【備  考】

【撮影日】2月下旬(推定)
【撮影場所】漢中路
【撮影者】
【説  明】
  「南京漢中路に群がる露店の賑わい」
【出  典】
  支那事変画報(昭和13年3月21日号)掲載
  
【備  考】

【撮影日】4月上旬(推定)
【撮影場所】
【撮影者】岡特派員
【説  明】「南京・中支の厚生平和と新政府の誕生に狂喜せる南京民衆の旗行列」
【出  典】
  支那事変画報第15集 (昭和13年5月5日発行)
  水間政憲著「完結南京事件」 p.138
  水間政憲著「ひと目でわかる日中戦争時代の武士道精神」 p.133
【備  考】

 


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